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気象神社

東京都内にある気象神社にお参りに行ってきました。気象関係者のみならず、大事な日の晴天を願う人たちの参拝が多くみられます。

気象神社

JR中央線の高円寺駅から徒歩で3分ほどの至近距離にあります。

 

気象神社には気象関係者のみならず、大事な日の晴天を願う人たちの参拝が多くみられます。現在の社は3代目のものだそうです。

初代は1944年(昭和19年)4月、当時の陸軍気象部の構内に造営されたものです。陸軍気象部は現在の気象神社から徒歩15分ほどのところにありました。

1945年4月の東京大空襲で焼失し、終戦直前に再建されたのが2代目です。戦後は撤去を免れ、関係者の尽力により現在の氷川神社の敷地に遷座されました。

社殿老朽化に伴い2003年6月に再建されたのが現在の3代目になります。

御祭神は八意思兼命という神様です。太陽神として知られる天照大神が天岩戸に隠れた際、岩戸を開く知恵を考え出したとして知られています。

これは、会社などの敷地内に設置される邸内社に、商売の神様である稲荷様を祀ってあるのとは対照的です。気象予報の的中を祈願するため、太陽神ではなく知恵者を祀ったのかもしれません。

ちなみに氷川神社の神職は予報士の有資格者で、境内で試験対策講座を開設しているそうです。

 

陸軍気象部

話は百年以上前に遡ります。

ヨーロッパを中心に戦われた第一次世界大戦では、戦車、飛行機、化学兵器など新兵器が多数登場しました。これらを活用するために、作戦には天気予報が重用されました。また天候を敵に知られないために気象情報は機密扱いになりました。

日本の陸軍は第一次大戦の調査を通して戦いにおける気象の重要性を認識し、1935年に砲工学校内に気象部が設置されました。

その3年後の1938年には陸軍大臣直轄の陸軍部気象部として独立し、砲工学校のあった新宿区若松町から杉並区馬橋(現在の高円寺)に移転しました。

陸軍気象部正門(杉並区馬橋) 出典:陸軍気象史

 

気象部が砲工学校にあった頃は、中央気象台との関係は講師派遣を要請する程度でした。

ところが、陸軍気象部になってからは気象観測網を自らが構築するという目的のもと、中央気象台への圧力が俄かに強まっていきます。それは中央気象台の業務を陸軍の中に取り込むことに等しかったのです。

しかし、中央気象台長であった岡田武松は命を狙われるという危険を冒しながらも、軍部からの要求に屈することはありませんでした。

岡田は予報課長時代の1905年、日露戦争の日本海海戦時の天候について、「天気晴朗ナルモ浪高カルヘシ」(天気は晴れるものの波が高い)という予報を出した人物です。

その岡田が身を挺して気象業務を守ったのは、学生時代に抱いたという「災害防止を始めとして国民の生活安定に寄与する」という信念だったのかもしれません。

戦後、陸軍気象部の跡地に、疎開していた中央気象台研究部が気象研究所として再建されました。建物と敷地をそのまま流用したため、広い敷地に研究室としては使いにくい建物だったそうです。

 

最後に

多くの人たちの天気への思いを受けいれてきた気象神社。激しい気象が続く昨今においては、安穏な天気が続くことを祈らずにはいられません。

気象神社はJR高円寺駅を南側に出て、駅前のロータリーを進んで左折するとすぐのところにあります。皆さんもぜひ一度、足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

主な参考文献:
「陸軍気象史」(陸軍気象史刊行会)
「岡田武松伝」(岩波書店)
「気象百五十年史」(気象庁)

 

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「気象神社」への3件のフィードバック

  1. 毎日暑いですね。お変わりございませんか?
    今回も興味深いお話しをありがとうございました。実はこの週末東京に行っていたのですが
    気象神社に行きそびれました(笑)。次に行くときにはぜひ行きたいと思っています。

    1. 東京に来られていたのですね。
      気象神社は新宿駅から往復で30〜40分程度なので、1時間もあれば行って来れます。
      次回はぜひ足を運んでみてください。事前連絡いただければご案内しますよ😀

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